アンノウン氏については、『体育教師』以来のファンである。その「精神の破壊/所有」をテーマとする作品は、氏の表情の描き分けによって特異な世界を確立する。ただ『調教クラブ』から顕著になったのは、精神の表現から物理表現へという、「肉体の変形・破壊/所有」への移行である。個人的には、この関心の変化は、同人誌作家が陥りやすいアポリアの一つだと考えている。
描写とはいえ肉体の毀損は復元できず、したがってバッドエンドを不可避にする。力を尽くしたキャラクターの産出に対するその無惨な殺害は不連続な既出作品群となり、作家自身の想像力を拘束し、逼塞/枯渇させる。様々な作家たちの猟奇譚が単発に終わるのはこのためである。そのため『奇譚事件録人誑の家』を読んだときは、氏の将来を大変心配した。
しかし氏は今作でそのアポリアを見事に脱したようである。最後の「はい」と「いいえ」の選択は、作家が絶望の甘美に強い誘惑を感じつつ、現実回帰を選択したことの現れだろう。それ故にこそこの作品は、続編可能性を残して終わっている。異世界転生が舞台になったのは、精神所有の象徴表現としての肉体所有表現の限界を痛感し、作家がこの結末を決断してから練り上げられたものだろう。と、するのは深読みすぎるか。しかし兎にも角にも、私はアンノウン氏が、自力で現実に戻られたことを心から祝したい。
一ファンの戯言として、氏はすでに書ききったと思われているかもしれないが、既発表作にまだまだ描き尽くすべき箇所がある。体育教師の失職とその零落、庭園の主の交代、庭園の季節、人誑の家から生還した病院、あるいは今作なら度重なるフラッシュ・バックと現実の交差も面白い。したたかな作家が、生を志向しつつ破滅的官能をいかに描くのか。氏の活躍にこれからも目が離せない。
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