光の夜闇の朝

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光の夜闇の朝 [カラマワリ]
サークル名 カラマワリ
販売日 2020年04月24日
カップリング
作者 江崎広海
年齢指定
R18
作品形式
ファイル形式
PDF
その他
ページ数 46ページ
イベント コミックマーケット97
ジャンル
ファイル容量
832.86KB

作品内容

人気女形役者とその着付けを担当する衣裳方のラブストーリー。

現世パロです。
人気女形役者の攻様と衣裳方の受様とのラブストーリー。

A5/本文42P

サンプル

加々知が舞台の衣裳方の仕事に就いたのはたまたまであった。大学まで出たは良いものの特にやりたい仕事が思い当たらなかった。幼い頃に両親を亡くし、着付けの先生をしていた祖母に育てられた為、着物には馴染みがあった。何より、芝居好きな祖母に連れられて通った芝居小屋の煌びやかな世界が好きだったことが、加々知を舞台の世界に引き寄せた要因だったかもしれない。
入社して二年は大部屋の担当だった。元々素養が有った事もあり、伸びるのは早かった。三年目にはポツポツと役付の役者の着付けを任されるようになった。
そして、今回、人気役者の『白澤』付きに抜擢された。

『白澤』は当代きっての人気女形である。花柳界に生まれ幼い頃から舞台に立ち続け、今や並ぶものが無い程の人気と実力を誇る、押しも押されぬ花形役者となった。
ただ、役者としては申し分ないのであるが、女好きの方も当代きってであるのが玉に瑕と言えば玉に瑕である。とにかく、一晩たりとも女性を欠かす事がないとのまことしやかな評判で、強ちそれが大袈裟でも無いらしいので困ったものである。季節の知らせのように浮名を流して週刊誌やワイドショーを騒がせる。そのことを含めて『白澤』は演劇界の花形であった。
     ◆


「あ」

舞台に出ようと一歩踏み出した白澤が珍しく小さな声を上げた。
何事かと付き人が歩み寄る。
「鼻緒」
その声に合わせて同時に加々知と付き人が白澤の足元にしゃがみ込んだ。鼻緒の切れた赤い鼻緒の草履がが白澤の足先でぶらんと揺れている。
「衣裳部屋に」
周囲の人間たちから桃太郎と呼ばれる勘のいい付き人の青年は躊躇わずに踵を返して衣裳部屋へと向かって走り出した。
本番中は裏方はエレベーターを使わないのが不文律だ。ここから階段を使って地下の衣裳部屋にたどり着き、新しい下駄を受け取って返って来る頃にはもう、白澤の出番は来てしまうだろう。
「大丈夫。僕、草履無しで出るから。出番も短いからすぐ帰って来るし」
草履無しで出ると言われても豪華な姫装束に足袋裸足ではいかにもバランスが悪い。観客もすぐ気が付くであろう。
加々地もまた躊躇なく白澤の岡持ちに掛かった手ぬぐいに手を伸ばした。
「失礼します」
舞台袖に設えられた小さな拵え場には、裸電球が幾つか姿見を照らしているだけで視界が悪い。さっと、顔を覆う黒布を頭の上に上げる。瞬間視界が晴れる。勢いを付けてピリリと手ぬぐいを裂くと白澤の草履を恭しく手に取り、まるでそれが毎日の慣例であるかのような当たり前の仕草で手早く鼻緒を挿げ替えた。その間、時間にして三十秒程もあっただろうか。あまりの手際の良さに、白澤は一つ瞬きをして草履を眺めてから、自分の足元にしゃがみ込んだ加々知の顔に視線を落とした。
「どうぞ」
思いのほか色白なその男は眉ひとつ動かさずに白澤の爪先に下駄を差し出した。面の下から出て来た端正な面立ちに一時息を呑んだ。ドキンと胸が音を立てたのはこの緊急事態のせいだろうか。
(なんと整った……)
白澤は心の中で感嘆しながら下駄を履く。瞬間すうと姫の顔になって顔を上げた。
「褒めて遣わす」
にこ、と笑みを作ってそう言うと、しゃなりとしなを作る。白澤が舞袖に向かうに合わせて加々知が床に引かれた着物の裾を見栄え良く広げる。やがて白澤は舞台の強烈な光に吸込まれて行った。
ややあって、桃太郎が草履を持って帰って来た。
「ああ、間に合わなかった。出たんですか」
「出ました。ごめんなさい、手ぬぐいを裂いてしまいました」
「ああ、大丈夫ですよ。手ぬぐいなんて幾らでもありますから」
「戻ってらしたら、新しい下駄を出して差し上げて下さい」
小声で話しながら二人は先刻白澤が脱ぎ散らかして行った拵え場を片付け始める。誰が見てもそれと判るお姫様然とした大振り袖や帯を纏めて風呂敷に包む。衣裳部屋に持って帰って手入れをして次の公演に備えるのだ。
「ほら、もうすぐ帰ってらっしゃる」
桃太郎が慌ててドリンクボトルを持って構える。
舞台袖に捌けて来た白澤はボトルを受け取ると、器用に裾を捌きながら差し出された椅子に腰を落とした。
加々知は風呂敷を背負い白澤に黙礼して拵え場を後にしようとした。

「名前。何て言うの」
思いがけず声が掛かった。振り向くと白澤は桃太郎に草履を履かせて貰いながら涼しげな顔で水を飲んでいる。
「加々知です」
「かがち。さっきはありがとね」
もう一度丁寧に一礼してから、加々知は足早に拵え場を後にした。次の着替えの準備をしなければならない。
白澤の顔も見ずに場を離れたのは決してこの、頬の火照りに気が付かれないためでは無い。

初めて声を掛けられた……。

顔合わせからひと月、公演が始まって二週間。白澤は本番中殆ど言葉を発しない。別に嫌われているとか機嫌が悪いとか言う訳ではなく、白澤は度を超して男に興味が無いのだという。今回の公演で初めて白澤の着付けに入る事が決まった時、先輩たちにかわるがわる釘を刺された。白澤さんに無視されても気にしない様に。あの人はちょっと特別で、男はそこに「居る」としか認識できないみたいだから。仕事には厳しい人で、何も言われないってことは満足しているってことだから。

そして、今日、初めて声を掛けられた。

それは、本当に些細な、けれども想像よりも何千何万倍も甘美な体験だった事に自分でも驚いていた。

白澤は自分がいつになく機嫌が良い事に薄々気が付いていた。そしてこの上機嫌の理由も何となく想像がついた。何故舞台袖で起きた小さなトラブル一つでこんなに気分を良くしているのかいまひとつ理解が及ばないが、若いスタッフが手際良くトラブルに対処してくれた事が単純に気分が良いのだろうと片付けた。
(そう、あいつ、なんだっけ? 変わった名前だった。そう、かがちだ)
初日に配られたパンフレットを取り出して最後のページを開いてみる。最後のページはスタッフロールになっていて、今回の舞台の全スタッフの名前が書いてある。目的の名前は衣裳部の末席にあっさり見つかった。
『加々知』
(中々良い字面じゃあないか)
紙の上に素っ気なく並んだ活字は如何にもあの男に相応しく思えた。灯りの下に浮かび上がった、白い、整った顔が頭をよぎる。
「加々知……、覚えた」
小さく呟くと暫くの間、その見慣れぬ字面に見入るようにパンフレットのページに視線を落としていた。

     ◆

「おはよう、加々知」
次の朝、楽屋の廊下で先に声を掛けたのは驚くべき事に白澤の方だった。
今まで挨拶が無かった訳ではない。おはようございますと挨拶すれば、愛想良くおはようございますと返事は返って来た。しかし、朝から親しげに呼び掛けられたのは初めてである。加々知は一瞬不意を突かれて言葉を飲み込んだ。
「おはようございます、白澤さん」
夕べ初めて名前を呼び掛けられた衝撃も冷めぬうちに、再び名前を呼ばれ、少しばかり狼狽する様を気取られぬ様に、心持ち普段よりはっきりとした大きな声で挨拶を返す。
白澤は鷹揚に頷くと、両の口端を上げて美しい笑みを作っ「良いお返事。あっ、ねぇ、ちょっと待ってて! 甘い物好き?」
白澤はそう言い残すと返事も待たずに一瞬自分の楽屋に消えて、すぐに戻って来た。加々知の手を取り小さな紙の箱を押し付ける。形や意匠からして多分高級な菓子か何かだろう。
「緑寿庵の金平糖。差し入れに頂いたんだけど、僕甘い物あんまり食べないから。良かったら食べて」
「ありがとうございます。では、衣裳部みんなで頂きます……」
「いや、これは、加々知に。お衣裳さんにはまた何か他のもの差し入れるから」
食べて食べてと繰り返しながら、ひらひらと手のひらを振りながら白澤は楽屋暖簾を翻して楽屋の中へ消えて行った。
白澤の楽屋には贔屓筋から贈られた若草色に白澤の名前と紋が染め抜かれた楽屋暖簾が掛かっている。白澤はこの色を好む様で浴衣やら手ぬぐいやらの身の回りの物にも良く選んで使っている。昨日加々知が裂いてしまった手ぬぐいも白地に竹の模様が入った白澤気に入りの品であった。緊急とはいえ、気に入りの品を痛めてしまって申し訳無かったなと思う。一介の裏方に過ぎない自分には出過ぎた真似だったかも知れない。そんな後悔を菓子折り一つで消し飛ばしてくれた心づかいが嬉しかった。

そんなことが有って、何が気に入ったのか白澤はそれから度々加々知を指名してくるようになった。担当を女性にしろと毎回ごねることで有名だった白澤が男性スタッフを指名してくるようになったので、周囲には大層驚かれたが、関係者達の驚きをよそに二人は存外上手くやっていた。白澤は、男性であっても加々知のことだけは一個人として認識出来るらしく、何かにつけては加々知、加々知と頼りにして可愛がった。

     ◆

巡業先の大阪で、休演日を前にして全体の中日打ち上げが行われた夜、しこたま酔った白澤に、僕の酒が飲めないのかと絡まれて、仕方なく数人の役者スタッフとともに三次会に参加した。酒好きではあるものの大して強くはない白澤は、女性の居ない席にも関わらず終始ご機嫌で飲み続けていた。こんなことは珍しいと古参の照明スタッフが加々知にそっと耳打ちした。

「白澤さん。明日が休みだからって飲み過ぎですよ。送って行きますから今日はもう帰りましょう」
三次会も更ける時間になって、テーブルに顔を伏せて眠り始めた白澤を揺り起こすと、そう囁きかけた。
いつからか、付人の桃太郎が同席していない時の白澤の面倒を見るのは、加々知の仕事になってしまった。特に問題は無かったし、男には全く興味を示さない白澤から頼られるのは悪い気はしなかったので、加々知が甲斐甲斐しく白澤の世話をする機会が増えていった。
「ええ? まだ飲めるし。桃君は? 桃太郎君はどうしたの?」
「桃太郎さんなら、一次会が終わった時に白澤さんがお暇を出したじゃないですか。ほかのグループと飲みに行ってますよ」
「そうだっけ? また加々知と帰るの? つまんないなあ」
少しぐずるように呟きはしたものの、白澤は素直に加々知の言葉に従った。
「ほら、立てますか? 歩けそうですか? タクシー呼びましょうか」
「いや、大丈夫。加々知と歩いて帰る」
見た目よりもしっかりした様子でそう言うと、鞄の中から財布を取り出し、紙幣を数枚抜き出した。
「これで二人分払っておいて。お釣りはいらないから」
「わかりました。私の分は後で清算させて下さい」
白澤は大体において気前が良く金払いが良い。加々知は金銭的なことで借りを作るのを好まない為、そのことで面倒な事になるのはしょっちゅうなのだが、白澤は特に気にはしていないようであった。

「ほら、白澤さん、着きましたよ」
ドアのスリットにカードキーを差し込むと小さな音を立てて錠が開いた。ドアを開けて白澤の背中を部屋の中に押し込む。酔い潰れられる前に部屋に辿り着けて良かった。背中を押した刹那、不意に手首を握られた。
「ねぇ、加々知」
「何ですか? まだ飲み足りないとは言わせませんよ。後はお一人で飲んで下さい」
「ねえ、……僕と遊んでくれない?」
「寝言は寝て言え、この酔っ払いが」
「えー……、まあ、酔ってるよ? 酔ってるけど酔ってない」
「酔っ払いは大抵自分では酔ってないって言うんですよ」
「酔ってるのは認めるけど前後不覚になるほどじゃあない」
「私が女の子に見えるくらいには酔ってるじゃないですか」
「見えてないよ。さっきから僕ちゃんとお前のこと加々知って呼んでるじゃない?」
「ねぇ、加々知。僕のこと好きでしょ?」
心の中で舌打ちをする。
「……あなたの顔は好きです」
「顔だけかぁ……」
「あと、お姫様の衣裳で舞台に立ってる姿も」
恐らく自分も相当酔っているのだろう。つい口を突いて出た本心に苦笑いしながら、肩にしな垂れ掛かってくる白澤を引き剥がす。
縁起物だとかで舞台と稽古以外の時には、洋装でも和装でも必ず身につけている右耳の、赤い組紐のピアスが頬に触れる。白澤のピアスの穴は右耳だけだと言う事に初めて気が付いた。同じく縁起物の数珠のような赤いブレスレットが左手首で光った
「僕だって男なんか口説きたくないよ。でもしかたないじゃん? 加々知と遊んでみたくなったんだから」
「近いです。私はもう帰りますからお構いなく」
「僕がお構いしたいの」
「あなた、自分が何言ってるかわかってるんですか」
「じゃあ、キスは? キスだけならいいでしょ?」
「遊びじゃ無いなら、考え無くもありません」
どうせ酒の上の質の悪い戯言だと思えばこそ、ついつい軽口が口を突いて出る。明日の朝になれば白澤は何も覚えないだろうと思うと、やり場のない遣る瀬無さが胸をよぎる。
「ごめん、それは無理」
「じゃあ私も無理ですね」
「つれないなあ。この僕がこんなにお願いしているというのに」
白澤はぽすんとベッドに体を投げ出すと枕に顔を埋めた。
「いいよう。もう、帰っても。また明後日ね。おやすみ」
拗ねたような甘えたような口調でそう言うと、加々知に向かってひらひらと手を振った。
「おやすみなさい。また明後日」
少し様子を窺うように時間を取ったが、相手が大人しくなったのを確認すると、舞台袖でそうするように、足音を立てないようにドアに近づきドアノブを握る。
「明日は? 何やってるの? 部屋に電話してみてもいい?」
「白澤さんの目が覚めた時間なら」
「わかった。気が向いたら電話する」
「わかりました。おやすみなさい」
音を立てないようにゆっくりとドアノブを回して扉を開けると足音を殺して部屋の外に出る。慎重にドアを戻すと漸く人心地着いたかのように大きなため息を漏らした。

     ◆

「……ったく、あの酔っ払いが……」
白澤の部屋を出た瞬間、加々知はドアに背中を預けてずるずると床に沈み込んだ。
人の気も知らないで……、と言いかけてはたと睫毛を揺らす。
人の気……? 誰の気持ちのことだ?酔った白澤に口説かれてお前は何を思ったというんだろう。酒の上の戯言に心躍らせたと言うのか? 思い上がりも甚だしい。『白澤』がお前など本気で相手にするわけが無い。酒に酔った挙句、女がわりにちょっと揶揄われただけなのに、自分が特別だと勘違いするなんてお笑い種じゃ無いか。なのに、明日、部屋に白澤から電話がかかって来るかも知れないと期待している。馬鹿馬鹿しいにも程がある。
そこまで考えて、なんだか自分が可哀想になって、加々知は知らず微笑んだ。ぼんやりと半分照明の落ちた天井を見上げる。そこには頼りなく蛍光灯が震えていた。煙草が吸えないのが痛恨だ。早く部屋に帰って一服しよう。
「……キスくらいしておけば良かったですね」
自嘲気味に呟くと、長い背を曲げてゆらりと立ち上がった。

     ◆

 部屋に残された白澤はベッドの上に転がったまま、背を丸めてベッドカバーの柄を眺めていた。
「ははっ……。相変わらずお堅いなあ……結構渾身だったんだけど」
(靡くと思って誘ったわけではないけどね)
もぞもぞと起き上がると冷蔵庫を開けてミネラルウォーターのペットボトルを取り出す。飲み過ぎたとは思わない。寧ろ適量より少し少ない位だ。酔っていないと言えば嘘になるが、前後不覚に成る程でもない。それなのに、何故あんな戯れを仕掛けてしまったのか自分でも良く解らなかった。  
強いて言えば、喉が渇いていたのだ。無性に加々知が欲しくなった。ただそれだけの事だった。巡業に出てから、女性を切らせていたせいかもしれない。ならば女性の居る店に行けば良かっただけではないのか。何故、選りにもよって男の、しかも後腐れの残る関係の加々知を口説こうと思ったのか。
考えてみたが答えは出なかった。ミネラルウォーターを一口喉に流し込んで一息つく。
「ああ、どうせならキス位しておけば良かったかなあ」           

     ◆

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